2006年09月

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八郎潟のシラウオを肴に

Date
2006-09-27 (水)
Category
今日の逸品

天王の知人に獲れたてのシラウオを頼んであるから、それで一杯やりましょうと近所の友人宅に招かれた。ところが八郎潟のシラウオ漁は24日に一旦終えて数日後に再開するというので、彼女はわざわざ市場で買い求めてきたそうだ。
シラウオを生で食すときの表現はやっぱり「啜る」だろう。大根おろしと生姜をたっぷり添えて啜れば、その身の旨さもさることながらピンとした歯ごたえが返ってきて気持ちがいい。用意されていた2本の麦焼酎もいつしか空になって、それではと持参した純米原酒に手をつけた。
これは男鹿の名水「滝の頭湧水」で仕込まれたもので「富豪の泉」という縁起の良さそうな名前。添付のリーフレットには「発展途上酒」と書かれている。とはいえ製造元は老舗の木村酒造だから期待も膨らむ。一口含んだ日本酒通の一人は「いいお酒だけど洗練されたらもっと良くなるのでは」と言っていたが、まったく日本酒は奥が深い。
それにしても男鹿の湧水と八郎潟のシラウオという限りなく透明に近い組み合わせで、何やら日頃の雑味がすっかり払われたような気がする。この調子で明日の検診もクリアしたいところだが、慌てて野菜ジュースでデトックスを図る往生際の悪さ。

紀文の房太郎さん

Date
2006-09-23 (土)
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今日の逸品

横町の「紀文」で名物の千秋麺を食べると、大女将の房太郎(本名はたしか、房子)さんを思い出す。しばらくお目にかかっていないが、相変わらず凛としているらしいと聞く。「紀文」の千秋麺はあっさりとしたスープと細麺が特徴の中華そばだが、素朴で懐かしい味だとして長年のファンも多い。深夜1時まで営業している店内は、一杯飲んだあとに立ち寄る客でいつも賑わっている。
6~7年前になるが、房太郎さんが芸者をしていた頃からの付き合いだという上司と紀文を訪ねたことがあった。夜の10時頃だったと思うが二階の座敷に顔を出した房太郎さんは三つ指をついて深々と頭を下げ、得意にしていた岡本新内のことなど秋田弁で語る思い出話が尽きなかった。いかにも粋筋で生きてきた女性らしく、艶やかでありながら出過ぎないしなやかさがあった。戦後間もない頃の川反には、こんな床しい芸者衆が大勢いたというが、いま往時の面影が偲ばれる場所はない。
「高層の明るい灯の中から、さんざめく三味太鼓の響きが川を渡り、障子にうつる舞いの手ぶり、足のしなりが影絵になって、柳の垂り枝が行く水にゆらぎ、向う側の土手にさすらう若人達に、ひとしおのやるせなさを増させたことでもあったろう。」とは、「明治より昭和まで」(鷲尾よし子著)の一節。情景が目に浮かぶ。

もっきりかけて

Date
2006-09-21 (木)
Category
今日の逸品

先日、やじ子と駅前を歩いている時、彼女が履いていたサンダルのヒールが折れてしまった。近くの大型店でとりあえず代用品を買って事なきをえたのだが、不意の散財ついでに5時開店の居酒屋に立ち寄ることにした。二人とも空腹ではなかったので、お通しの豆腐を肴に黒糖焼酎を二杯ずつ飲んで、客が混み出した6時過ぎには店を出たから酔うというより「もっきり」かけて家路についたという感じだった。
それから数日たった昨日、彼女が真顔で言った。
「私たち、もしかしてオヤジ化してない?」
もちろん、日が高いうちから一杯ひっかけて帰ったことを言っているのだ。
時は遡って20年前。千葉市内の会社に勤めていた私は、仕事を終えると決まって同僚と駅ビルのスタンディングバーで軽く飲んでから電車で帰っていた。飲めばタクシーか代行で帰らなければならない秋田と違って、電車通勤はその点が身軽だった。そういえば中尊寺ゆつこさんの「おやじギャル」という言葉が流行ったのは、あの頃ではなかったか。バブルのあの頃、OLたちはゴルフ場へ、居酒屋へ、ガード下の屋台へとオジサンたちの居場所に進攻していった。今で言うところのパワハラ、セクハラが横行していた頃だったから「ギャル」も「おやじ化」しないと、やってられなかったのかもしれない。
それにしても、おでん屋台のベンチにぎゅうぎゅう詰めで腰掛けたときの、見知らぬお尻の温もりが今となっては懐かしい。やじ子さん、「オヤジ化」じゃなくて、もうすっかりそのものでしょ。

わたしの歯はどれ?

Date
2006-09-20 (水)
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今日の逸品

敬老の日にちなんだものなのか確認していないが、「介護エトワール」というドラマを観た。ドラマを見ることは滅多にないが、あと数年したら他人事ではなさそうなテーマで興味深かった。
ところで年を取るということは哀しいことだろうか。不便なことはあるかもしれないが、老化と向き合える余力があるかどうかで感じ方も違ってくるような気がする。
最近、高齢者の仲間入りをした知人が同窓の仲間らと一泊旅行した時のことだ。宴会となれば退職したご亭主の愚痴で大いに盛り上がり、それを受けて「あーしろ」「こーしろ」と夫の操縦に長けた数人がアドバイスをする。こうして日頃のストレスを発散しての翌朝、共同の洗面所が小さなパニックに陥った。ほぼ全員が色もデザインも全く同じ入れ歯ケースを使っていたのだ。それぞれ恐る恐るケースを開いては覗き「あ、違った」と呟いては、また別のケースを手に取るという何とも愉快な行為を繰り返したという。こんなことは私たちの年齢では起こり得ない。多少の不便さを笑いの種に変えてしまう彼女たちの余力に脱帽した。
「逸品」は今日はなし。最近は昨日の夕食さえ思い出せないのだから、介護の前に我が身が危うい。

鍋のあとさき

Date
2006-09-18 (月)
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今日の逸品

鍋の季節がついに来てくれた。
半端な野菜や肉、魚介を一掃するには鍋料理が間違いない。
というわけで昨夜は鶏だんごが主役の寄せ鍋にしたのだが、最高気温が27℃くらいあったようで夜になっても鍋が歓迎される気温には至らなかった。もちろん、よく冷えたビールの味は際立っていたから痛し痒しといったところ。ビールが飲めない未成年者らの「暑い!」という文句にもめげず、煮えたぎる汁の中にスプーンで次々と入れていくのは鶏だんごのタネ。モモ挽き肉にみじん切りの長ネギ、卵、塩、片栗粉を混ぜ込んである。成型されて売られている鶏だんごは硬くて好まない。口の中に入れた時に、ふわふわと分解されるくらいが丁度いい。具が消えたら御飯を入れて溶き卵を割りいれての雑炊で仕舞い。空っぽの鍋と冷蔵庫を見るのは気分のいいものだが、夜が明けての今朝……朝食の材料がない!という事態が結構あるんだな、私の場合は。

こっぱニシン!?の反省記

Date
2006-09-17 (日)
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今日の逸品

身欠きニシンを煮てみようと思い立って、よしこちゃんから作り方をメールで流してもらった。洗ってから腹側の骨を削ぎ落として湯通し、までは教えに従順で完璧だったのだが、三等分くらいに切るところを一口大に、砂糖、酒、醤油で煮るところを途中で酢を加えてしまった。なんと煮上がってみたらニシンはバラバラの木っ端微塵、一緒に煮たフキにそぼろ状態でまとわりついていた。
こんなふうに年に数回、人の言うことを聞かずに失敗することがある。
何年か前、仕事で北上に行った時のことだ。「えさし藤原の郷」を最後に、あとは帰るばかりとなった私とやじ子は遠野にも寄ってみようと相談がまとまった。駐車場で待機していた観光バスの運転手に道を尋ねて地図まで書いてもらったのに、途中「遠野」と小さく書かれた標識を見て「こっちの道の方が近いに違いない」と決め付けて見事に迷った。諦めて北上に戻り、ジャージャー麺を頬張りながら「人の言うことは素直に聞かないとね」と悟ったはずだったのだが、その後も思いつきの失敗を繰り返しては反省を重ねている。
よく考えてみたら、この会社を創るときも何人かは止めたくて仕方なさそうな顔つきだった。
言ってくれたら素直に聞いたのに…と笑うところからして反省の色がない。

切ないパーティプラン

Date
2006-09-16 (土)
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今日の逸品

昨日は友人の誕生日を祝おうということで、予約していた駅前の多国籍料理店での昼食となった。この店は以前にも別の友人の誕生祝いで同じパーティプランを利用したことがある。その時、思いがけず店から花束が主役に手渡されたものだから、もしや今回も…と多少は期待した。サーモンのカルパッチョ、シーザーサラダ、魚介のグラタン、アサリのパスタと続いて、いよいよ花束贈呈のデザートタイムが近づくと他人事ながらワクワクした。が、ベリーたっぷりのケーキやシャーベットを、花のように盛り付けた一皿が置かれただけで花束はなかった。
料理もまずまずでリーズナブルな価格、しかもパーティプランの文言に花束プレゼントなど一言も謳っていないのだから、店側には何の落ち度もない。
ただねー、人間関係でも言えるけれど、上げといて不意に元の位置に戻されると凡人にはツライ。

稲穂の波

Date
2006-09-14 (木)
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今日の逸品

能代で打ち合わせを終えて帰る途中、少しだけ下ろした窓から懐かしい匂いが入ってきた。乾いた干草のような稲穂の匂いだ。見れば一帯に広がる田んぼが黄金色に輝いている。
そういえば実家の裏手に周辺の農家が管理する田んぼがいくつもあって、季節ごとに違う顔を見せていた。18のある秋の日、久しぶりに帰った実家の自室から外を眺めていると、突然、強風が吹き始めて稲穂の波が大きくうねりだした。まだ感受性が瑞々しかった頃だから、その美しさに感動して、うっかり泣きそうになったほどだ。話題の総理候補ではないけれど、「美しい日本」を確かに見たのだと思う。
と思ったあたりで不意に大事なことを思い出した。午後から次女の合唱コンクールが県民会館で開催されていて、間に合えば観に行くと伝えてあったのだ。稲穂も驚く台風のごとく車を飛ばして、6年連続で情けないが次女の出番寸前で滑り込み。
二百十日から13日目、風に乗ってコウベを垂れずに済んだ。

切り身

Date
2006-09-13 (水)
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今日の逸品

買い物に行く時間帯が一般の家庭より遅いせいだろうが、生ものなら半額のシールが貼られていることが多い。昨日も真鱈の切り身が半額になっていて迷わず即買い。そろそろ鍋も恋しいけれど切り身だけなので、ホイル焼きを想定して足りない食材を駆け足で買い込んだ。さて、このホイル焼き、見た目は豪華で作り手の株が上がること請け合いだが簡単すぎて料理と言えるかどうか…。
なにしろ、アルミホイルにスライスしたタマネギを敷いて、その上に鱈を乗せて、塩コショウとお酒をふりかけて、香りのいいキノコを添えて、エビなんかも添えてバターを一片乗せて、包んで、250度のオーブンで10分焼くだけなのだから。
それでも焼きあがってホイルを開く時のワクワク感、湯気と一緒に立ち昇るキノコの香り、そして凝縮された旨みに至るという三段仕込みは意外とウケる。
まあ、こういう一気呵成モノで手を抜かないと、こちらが切り身になるわけで。

究極の粕漬け

Date
2006-09-12 (火)
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今日の逸品

料理名人よしこちゃんに相談があって仕事帰りに立ち寄ったところ、いわゆる「がっこ茶っこ」が用意されていた。中でも瓜の漬物がとびきりで、聞けば刈穂の大吟醸の粕を使ったのだと言う。そんじょそこらでは食べられない粕漬けは、口の中でほんのり甘い香りが広がる。薄暮の、ちょうど小腹が空いた頃合で、卑しい私はポリポリと食べては次に伸ばす手が止まらない。
しばらくぶりに会ったので話も止まらないのだが、夕食の支度もあるので小1時間ほどして彼女の自宅を出た。車に乗り込んで、はたと考えた。巷では相次ぐ飲酒運転による事故を未然に防ごうと躍起になっている。ひょっとして粕漬けも飲酒運転の範疇になるのではあるまいか。そんなことならロッテのラミーチョコだって負けてない。粕漬けのアルコール度数を考えているうちに、彼女の家から1キロほどの自宅に着いてしまった。そんな距離なら歩け、という声が聞こえてきそうだ。

満月の仕業

Date
2006-09-09 (土)
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今日の逸品

昨夜の7時頃、山王大通りから駅方向に向かって車を走らせていると三井アーバンホテル真上に真ん丸い月が乗っかって輝いていた。あまりに見事な円なので、一瞬なにかの看板の写真かと思ったほどだ。こういう出来すぎの満月を見ると、ニコラス・ケイジとシェールの「月の輝く夜に」を思い出す。本当に満月が人を惑わせるのかどうか分からないが、あの映画では罪悪感の欠片も見せずに浮気にいそしむ数組の男女が、すべてを満月のせいにしていたように記憶している。最初に観た時は唖然としたが(私も若かったし)、二度目以降はイタリア系移民が持つ根無し草のような人生観と大らかさに苦笑したものだった。
それはさておき、シェールの母親役が厚めに切ったフランスパンの中央をくりぬいて、そこに卵を落としてオリーブオイルで焼いているシーンがあった。何かの香辛料やソースを加えたかもしれないが、こんがり焼き色がついた卵の黄身がまるで満月のようだった。
次の満月の夜に、もしも正気だったら試してみようか。
失敗したらもちろん満月のせいにして―。

もうちょーっと早ければ…

Date
2006-09-08 (金)
Category
今日の逸品

知床を旅してきたという両親から、そろそろカニが届くはずだと電話が入ったのは昨日の昼。帰宅すると確かに網走漁港発送の荷物が届いていて、中にはタラバガニと毛がに、ホタテなどの海産物が納まっている。母は、カニ好きの次女が喜ぶだろうから存分に食べさせて、と加えて電話を切った。
と言われてもねー。
当の次女は虫垂炎の疑いで、前日から絶食と点滴の治療を受けているのだからカニどころの話ではないのだ。三日間の治療で症状が変わらなければ手術ということにもなるかもしれない。
というわけで今度ばかりは仕方がない。せっかくのカニの鮮度が落ちないうちにと手早くさばいた。甲羅から切り離した足に切れ目を入れると、赤みがかったカニの身がプリプリと弾んでいる。
それを横で見ていた次女が、
「あーあ、届くのがもうちょっーと早かったら」
「うまい! 座布団一枚!」
「どして?」
「虫垂炎の俗称」

脱稿の味

Date
2006-09-07 (木)
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今日の逸品

「浮いたら食べごろ」を書いたのは8月31日で、自分では当日に公開したつもりでいたのだが…。それにしても脱稿の爽快さは何度味わっても良いもので、これも「逸品」の一つと言える。どういうわけか締め切り前の混乱と時を同じくして、プライベートでも問題が続発した一週間であった。
昨日の午後はマンモグラフィという乳癌検診を予約していて、時間に追われるまま昼食どころかビスケットひとつ口にできずに病院に飛び込んだ。マンモグラフィは痛みを伴なうと聞かされていたが、強い圧迫感はあったものの痛み自体は大したことがない。これで癌の早期発見ができるらしいから、世の女性たちは積極的に受けるべきだと思う。
3時半に病院から自宅に直行して夕食を作り、その後宴会の場所へ急いだわけだが、案の定、空腹の身はアルコールをぐんぐん吸収した。覚えのある方も多いと思うが、空腹で飲むお酒は妙に美味しく感じるものなのだ。「雪の茅舎」と「刈穂」だから空腹じゃなくとも美味しいには違いないのだが、前者の華やかさと後者の硬派っぷりが昨夜は特に際立っていた。
おかげですっかりブラックアウトだったが、酔って帰宅し、脱いだスーツをたたんで冷蔵庫に入れたという知人には遠く及ばないはずだ。

浮いたら食べごろ

Date
2006-09-07 (木)
Category
今日の逸品

昨夜、義母からおすそ分けがあった。テレビの料理番組で紹介されていた水ギョウザを作ってみたという。見た目は普通の水ギョウザだが具が面白い。つぶした豆腐と鶏挽き肉に千切りのキュウリと椎茸、そしてキムチ。茹で上がって皮が透き通るとキムチの赤が現れて実に美しいし、キュウリのコリコリとした歯ざわりが食感に変化を加えている。ギョウザの具はシンプルに豚挽き肉と白菜だけ、などと決めてかかってはいけなかったのだ。
生来の能天気者なので、どうも向上心が乏しいように思う。もし昨日までは出来なかったことが今日出来たとしても、決して自発的なものではなくて偶然、もしくは切羽詰って止むを得ずといったあたりなのだ。中身がどうであれ水ギョウザのようにプカプカ浮かんでいられたら素敵だけれど、やれやれ、原稿の締め切りが迫って頭が痛い。切羽詰って止むを得ずの事態に、気分は生煮えで未だ浮かばれず。

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